芦屋良吉朗の任務

 芦屋良吉朗は嘘をつくことが嫌いである。否、苦手である、と言い換えたほうが適切かもしれない。
 別に叩いても埃一つ出ないほど清廉潔白を絵に描いたようなたいそうな人間だとは、自分でも思っていない。ジャンクフードとオルタナティブ・ロックと女の子を人並みに愛する、世俗に塗れた平均的現代人……の少し下のカーストに属する成人男子に過ぎないことは身に染みて弁えているつもりだ。
 それでも自分に正直でありたいと、彼は常日頃からそう思っている。だから今日も彼は電柱の影に潜み、ターゲットの接近を今か今かと待ち構えていた。
 ――ミッション・スタート!
 少女を乗せた一台の自転車が勢いよく風を切って通り過ぎていく。シトラスの香りを胸に収めると、人生の意味がわかったつもりになる。坂道に向けて腰を浮かせた瞬間を、彼は見逃さなかった。
「……白は朝日によく映える」
 目を細め、腕を組み、深く二度頷く。良吉朗の癖だった。そのきっかけは、もう覚えていないが。
 しばらくすると、真横を通り越していったはずの自転車が耳障りな音を立てて急停止する。オレンジ色のフレームは、快活でしなやかな体躯の少女によく似合う。車体をターンさせると、黒鳶色の瞳が不審者を迷うことなく捕捉した。間髪入れずに加速し、避ける暇もなく彼に衝突する。
 されど、これが彼らの日常だ。
 する側もされる側も、程度を知っている。言わば、プロレスのようなものだ。
 だから、
「ごめんなさい。ストライプフェチでしたね、兄さんって」も、
「この色が好きねとちぃが言ったから今日も今日とて純白記念日」も、間髪入れず放たれる容赦ない平手打ちも、すべて日常の風景である。
「平手打ちはないだろ、平手打ちは。兄は痛いぞ主に身体面以外で」
「血のつながった妹に傷物にされたご感想は、兄さん?」最上級の笑みで、実妹。
「深く反省しております。今後は邪な感情が混入しないよう鋭意努力してまいります」
「でも、ストライプだったら……?」
「また見たい、ふしぎ!」最上級の笑みで、良吉朗。ついでにぐっと親指を立て、白い歯を見せて笑ってみる。
「死んじゃえっ」
 蔑んだ眼で一瞥すると、再び自転車に跨って去っていく。その背中を呼び止める。
「なに?」
「授業中寝てたら、出席簿で叩き起こしてやるからな」
 少女は舌を出すと、やれるものならね、と笑った。
 良吉朗は嘘をつくのが苦手かつ下手だった。
 秋の空は青く、高かった。

/了(11.9)
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