さかしらさん
「わかりました。不肖坂代、微力ではありますが調査を請けさせて頂きます」
「本当ですか! 旧家の名門のご息女として名高いあなたに引き受けてもらえれば、百人力ですよ」
「ふふ、お戯れを。私などただの小娘に過ぎないですよ」
「またまた、ご謙遜を」
高級な背広に身を包んだ壮年の紳士が大仰に手を振る。煙草の臭いが鼻についた。
「しかし、いいのですか」
「ええ、先程も申し上げましたがお構いなく。私の身に余る対価を頂くなんて、とても」
坂代は微笑を浮かべる。
紳士は押し問答の末、一応の納得を見せた。
「それでは失礼致します。結果は後日に」
「ええ。色好いご報告、お待ちしてます」
紳士に見送られながら邸宅を辞去すると、単身で調査を開始した。
――また探偵の真似事か。坂代の名を汚す行為が何を意味しているのか、分かっているのだろうな。
――勿論存じています。二度と敷居を跨がせないと、お父様はそう仰りたいのでしょう?
――そういう意味で言っているのではない! 香住、あまり俺を失望させるな。お前には幸せになってもらいたいのだよ。もういい年だ、いつまでもごっこ遊びに興じていないで然るべき道を選びとれ。また縁談が来ている。今度は通信事業で、
――お父様、お話はそれだけでしょうか。でしたら、そろそろお暇させて頂きます。
――こら、待ちなさい、待たないか――
彼女はいつかの決別を思い出し、空を見上げる。
今はまだ帰るわけにはいかなかった。
一週間後、約束通り依頼人の元を訪ねた。調査結果をまとめた書類を鞄から取り出し、手渡す。紳士は資料に目を通すと何度も満足気に頷いた。瞳には涙さえ滲ませていた。
「ありがとうございます。まさかこうも仔細に調べて頂けるとは。これで、妻も浮かばれる」
「そうですか」坂代は目を細め、唇を三日月型に緩めた。
「私はあなたの力量を見誤っていたようだ。しかし、噂通り……いや噂以上の成果を上げて頂いた。重ね重ねご迷惑かもしれないが、どうか御礼の一つでもさせて頂けないでしょうか。このままでは私の気が収まらない」
紳士は深々と頭を下げる。
彼女はやめてください、と言った。
「お気持ちはよくわかりました。でしたら――」
彼女は喜びを隠せずにいた。
左隣には、運命に引き離されていたはずのあの人。
彼は、そよ風に乗せて、身の潔白を囁いた。
「わかりました。不肖坂代、微力ではありますが“調査”を請けさせて頂きます」
(了、10.8)
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