うろこクロニクル

 かなわねえ、と鱗は呟いた。
 如何とも形容し難い、凝りのような黒点が、本能を蝕み続けていた。常から意識を傾けているわけではない。鱗が自らの限界に打ちのめされた時、決まって黒点は、彼を呑み込むために妖しく舌嘗めずりをするのだ。鱗にとって、限界に挑むことは彼の責務ではない。然し、歩みをやめたなら、立所に鱗を物言わぬ物に変えてしまうだろう。それは彼にとって死よりも苦役であり、裸を晒すよりも恥辱であった。いっそ全ての目という目、穴という穴を閉じてしまえば、鱗は鱗だけの自由を手にし、唯一にして絶対の創造主に成り得たやもしれぬ、と甘く濁った誘惑に溶けてしまいそうになる。だが、そんなちっぽけな自尊心は、彼の最も忌むべき対象であった。下賎で怠惰な情動に身を浸す様を愚の骨頂と呼ばずして、何と呼ぶのか。
 鱗は遥か遠くまで続く、ゆらゆらりと波打つ水面を仰いだ。この情景を描写する言葉を、半端な彼は未だ知らない。
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