あいさつの魔法

 数瞬の後に容赦のない肘鉄を食らう未来を想像して、僕は平謝りをした。すみません、不注意でした。すぐ片付けます!
 もちろん謝れば許してくれるはずもなく、物理的な暴力の代わりに言葉の暴力を浴びせてくるのだけど、全ては自分のいたらなさに起因しているので、コメツキバッタのように頭を下げてやり過ごさなければならない。例えアルバイトの身分であっても、辞めるという選択肢はなかった。
「まあ、いいけどね」
 バイトリーダーのDさんは、最後にそう締めくくると、僕のほうを振り返りもせずに駅のほうへ歩き出した。いつの間にか終業時間を過ぎていたらしい。客の喧騒と説教の声がずっと響いているような気がして、酔っているわけでもないのに頭が重かった。
 ハイツに戻ると、実家の両親から手紙が届いていた。どうやら先日二人で旅行に行ってきたらしい。鮮やかに色づいた花の写真が同封されていた。 
 頼りなく頭を垂れるコマクサの花がやけに大きく見えた。
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