蝉声

 夏が来れば思い出す、と遥か昔に習った童謡をふと私は思い出す。
「おめでとう。意外と早かったなって思う。もうそんな歳だったんだなあ、私たちって」
 月日は百代の過客のように、あるいは矢のように光陰が過ぎていく。
 受話器越しに聞いた旧友の声にかつての艶やかさはもうない。こういっては語弊を招くが、喉が渇く声だった。
「私のほうはそれなりに。まだ同じところ、そう松戸。いないかなあ、今の所は。わかってる」
 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して一口含むと、夏の味がした。そうか、もう今年もそんな季節なのだな、と変に納得する自分がいた。
「でも三年は続いたんだから上出来でしょう。自分で自分を褒めたいくらい。ううん、向こうから。職場じゃなくてサークルの」
 炎天下の中、部室棟から出来るだけ近くて日蔭のある場所を選び、トロンボーンに明け暮れた日々がふいによみがえる。あの頃は合奏がうまくいっただけでどこか果てしないところまで行けるような気がしていた。あの雲のように。
「ところで麻里子は元気にしてる? そうなんだ。案内状のことは知ってたけど。結構来てたんだ。それなら行けばよかった」
 部活の帰り道によく寄っていたお好み焼き屋は今もあるのだろうか。雨降りで集まりが悪かった日には顧問の先生に『今日だけは特別だからな』と奢ってもらったっけ。
「今度機会があれば。わざわざありがとう。そんなことない。久々に朋子の声を聞けて嬉しかった。本当に? わかった。暇な時にでも。それじゃね」
 決めた。次の休暇は地元に帰ると。
 車を走らせていると木々に囲まれた母校が道の突き当たりに姿を現した。
 よかった、この辺りは何も変わっていない。
 敷地の周りを一周して、路肩に一時駐車し、車から降り立つ。すぐに熱気が纏わりつくけれど不快ではなかった。
 通学路から正門を通り職員室へ向かう。
 変な感覚だった。在学中、職員室へ用事があるときはいつも身を強張らせていた覚えがあるから、こんな気軽に入れるとは知らなかった。
 最寄の教諭に自分が卒業生である旨を伝え、顧問の名前を挙げ、いらっしゃいますかと訊いてみた。
 すると、教諭は首を傾げて少々お待ち下さいと言い、奥にいた教諭と二言三言交わし、また戻ってきた。
 私は礼を告げ、学校を後にした。
 ――先生は三年前お亡くなりになられましたよ。
 変わらないものなどない、と月並みな所感が浮かんでは消えた。
 木立に耳を澄ませば蝉も声変わりの季節だった。

(了、11.5)
inserted by FC2 system