素直になれずに

 早めの夕食を済ませ、平積みになっている漫画本をかたっぱしから流し読みしていると。
 コンコン。遠慮勝ちに鳴らされるノック。この音はあいつだな。
「開いてるよ」
 細く開けたドアから顔を覗かせ、こちらをおずおずと窺っている妹。まだ、さっきと同じ薄手のセーターを着ていた。
「なんだ、風呂まだ入ってなかったのか?」
「うん……」
 返事はどこか上の空。こういうときのこいつは――と思いを巡らせてみる。
「あの、さ」
 案の定。
 俺は漫画本から顔を離すと、身を起こして話を真面目に聞く体制に入った。
「入れよ。そこだと寒いだろ?」
 こくりと頷くと、妹は傍らの椅子に腰掛けた。手には何かの雑誌を持っている。
(あのモデルのひと、足長いなあ)
「あ、あんまりじろじろ見ないでよ。バカ」
 さっと後ろ手に隠されてしまった。残念。
 それきり、しばらく沈黙が流れる。
 普段のこいつの賑やかしさに慣れてる身としては落ち着かないことこの上ない。でも、こういうときはちゃんと話を聞いてやる――それが兄としての務めだよな。思い上がりかもしれないけど。
 これまでのご多分に洩れず話が長くなる予感がひしひしとしたので、お茶と菓子を取って戻ってきても、妹はさっきと同じく視線を勉強机から外さずに、体だけをこちらに向けてうーんと考え込んでいる。
「どうしたんだ? 言いたいことは言わなきゃ伝わんないって。黙ってたらわかんないぞ」
「ちょっと黙っててよ」
「はい」
 一蹴されましたとさ。兄弱し。
「……お兄ちゃんは、さ」
 それからもうしばらく時間が経った頃、妹がようやく話を切り出した。お茶を一口啜る俺。
「うん」
「その……誰か付き合ってる人って、いるの?」
「ぶっ!」
「ちょっとー、汚い」
「わ、わりい」
 いかん。流石の俺もこの流れは予想外だった。そうか、我が妹ももう高校生だもんな。いつまでもお子様じゃいられないよな。うん、うん。
「ちょっと、何一人で頷いてるのよ。気持ち悪いなあ」
「うっ……」
「お兄ちゃんに聞いたのが間違いだったかなあ。ズボラだもんねえ」
「う、うるさいなあ」
「あはは! じょーだん、じょーだん」
 とか言いながらひらひらと両手を大げさに振ってみせる。こういうときのこいつは思いっきり嘘をついている証拠なのだが、それは追求しないでおこう。いや、おいてやる。ううっ。
 ひとしきり笑い終えると、妹は表情を引き締めた。
「えっと、その、つ、付き合っている人、とかじゃなくてもいいんだけどね。誰か、そうだなあ――友達とかで、プレゼントを交換したりするじゃない、それで」
「いや、しないなあ」
「話を最後まで聞けいっ!」
 あいたっ。でこピンは地味に痛いですよマイシスター。
「で、プレゼントをあげようと思うんだけど、お兄ちゃんは何をもらったら嬉しい?」
「愛」
「はあ?」
「――は、嘘で」
「真面目に考えてよ〜」
「じゃあ、お金」
「はったおすぞ」
 身を乗り出してきそうな勢いですごまれたので、真面目に考えることにする。
「そもそも、何で俺に訊くんだよ?」
 と何気ない疑問を呈すると、こいつは声を裏返らせて小さく叫ぶように早口でまくしたてた。
「か、関係ないでしょっ! ただ、たまにはお兄ちゃんの意見も聞いてあげないこともないってだけなんだから!」
 なんで俺が怒られてるんだろ。
「と、とにかくっ! お兄ちゃんの欲しいものを挙げていってよ。そうしたら、何かいいアイデアが浮かぶかもしれないし……」
「そうだなあ……」
 殺風景な部屋をぐるりと見回して考えてみる。写真立て、ケータイ、ポータブルプレイヤー、ゲーム機、漫画、教科書、鞄、学ラン、昔流行った映画のポスター、トランプ、マフラー、謎のぬいグルーミー――いざ、考えてみると意外と思いつかないもんだなー。
「そうだ」
 そう言うと、妹はどことなく期待に満ちた目で俺を見つめる。
「渡すのって、男? 女?」
「えっ――」
「いや、俺、女の子がどんなの欲しいとか全然わかんないし。むしろ、それだったらお前が考えた方が早いじゃん? そういう本に載ってるんだろ?」
 と、後ろ手に隠したままの雑誌を指差してみる。
「……」
 明らかに狼狽している我が妹。カマをかけてみたつもりがこの反応。
「あ、もしかして、」
「言うなーーーー!!」
 あいたっ! 本の角で叩くなよ。地味どころか普通に痛いよ。
「ごっ、ごめん。痛かった?」
「自分で言うなよ……マジで痛かったぞ」
「あ、あははは……」
 わろてるで。
「ま、まあ、男の子でも女の子でもないんだけどね」
「はあ?」
「な、なんでもない! ほら、早く考えてよ。わたし、そろそろお風呂に入りたいし……」
「わかったよ。じゃあ、ギターとかどうよ」
「ギター?」
「ああ。こう、ギャーンと鳴らしたら爽快じゃね?」
「近所迷惑だよ……」
「じゃあ、ドラム」
「なおさら迷惑だよ。というかどうやって運ぶの」
「気合で」
「却下」
「じゃあ――――」
「わかった! お兄ちゃん、もっとシンプルに考えてみようよ。もっと、ほら、手軽でなおかつ相手の負担にならないような」
 シンプルで手軽で相手の負担にならない、ねえ。うーむ。こいつは一体どんな答えを待ち望んでるのやら。大抵俺に持ちかける相談はこんなのばっかなんだよな。多分、あいつの中で答えは決まっているんだけど、最後の一押しで逡巡してしまうんだろう。その一押しのキッカケにここにやってきてはあーでもないこーでもないと頭を悩ませてるのは、他でもない、俺だ。ま、頼られてる内が華かねえ。もっと兄弟間が刺々しい家庭もあるらしいし。
 それはともかくとして、だ。そうすると、実用品がいいのだろうか。それかいっそのこと食べ物なら、いやそれよりもっと根本的なことだが――――。
「わ、わたしの顔に何かついてる?」
「え?」
「お兄ちゃん、ずーっと私の顔見てたから」
「わ、悪い……」
「ていうか目ヤニついてる」
「マジかよ」
「うそ」
「おい」
「へっへー、さっきの、仕返し」とか言ってるし。小学生か、お前は。
「月並みだけどさ」
「うん?」
「ホントに大事なのは、どんなプレゼントをあげるかじゃないと思うんだよな。大事なのは――」
 と、自分の胸を指差した。
「…………」
「な、なんというか、俺よりはセンスあるだろうし、自信持っていいんじゃないか、な」
「…………」
 しばらく呆けたように俺を見つめた後、こいつは突然肩を小刻みに震わせはじめた。やがて、もう我慢できないといった調子で笑いをこらえるのもやめて、ひとしきり大笑いされる。
「な、なんだよ。俺はめちゃめちゃ真剣に考えた結果、こういう結論に至ったわけで。し、失礼なやっちゃなー」
「あははははは! はは、ご、ごめん、お兄ちゃんの口から、まさか、そんな歯の浮くようなセリフがっ、っく!」
 だめだこりゃ。
 で、数分後。
「落ち着いたか?」
「うん。なんとか」
 ようやくいつもの調子に戻ったこいつ。
 俺をさんざん笑いの種にしておいてどことなく清々しい表情をしているのは気のせいだろうか。いや、気のせいのはずがない。
「お兄ちゃん」
 菓子――すなわちクッキーを取り出し、口に放り込んでから、話し掛けてくる。
「お前、食うかしゃべるかどっちかにしろよ」
「ん……うん。それでね」
「だーかーらー。クッキーは後っ! 悪いのはこの手か? ん?」
「さ、触んないでよ、バカバカ!」
 思いっきり払いのけられた。
「もう、何言おうとしたのか忘れちゃったじゃん」
 すぐさま、非難がましい眼が向けられる。
「俺のせいかよ」
「お兄ちゃんのせいですよーだ。こういうバカ兄貴には――こうしてやるっ」
 と、口の中に何かが放り込まれる感触。サクッ、とな。……サクッ?
「じゃあね、お兄ちゃん。いいアイデア浮かんだよ。……ありがとね」
 そう言って、さっさと出て行った妹。
(――なんだったんだ?)
 結局、解決してないような。
 ま、いっか。

 それから三日後。
 半ドンの授業を終えて、さて、ちゃっちゃと帰宅して、ゲームでもしますかね、とプランを練っていたところ、妹に呼び出された。
 指定された場所は中庭のベンチ。
「ちょっと待ってて」とか言いながら、どこかへ行ってしまったので、しかたなしにぼさーっと人の流れを見送っていると。
「お待たせ」
 両手を後ろで組みながらスキップでも始めそうな軽い足取りをしてあいつがやってきた。
「ふっふーん」
 なんだよ。何を企んでやがる。
「お兄ちゃん。自分の誕生日っていつだか知ってる?」
「おまえなあ……いくら俺でも自分の誕生日くらい知ってるぞ。来月の頭だよ」
「お年玉と被っちゃうもんねえ」
「まあな。それでどれだけ数々のイベントが簡略化されてきたことか」
 ……まあ、一種の親孝行ということで自らを納得させているわけだが。
 こいつはそれを聞いて、さらに破顔した。
「と、まあ、そんな不憫な兄のために、一念発起して、ですね?」
 後ろ手に回されていたブツを掲げて見せると、横に腰かけた。
 薄手のハンカチを紐解くと、中から小さな透明のプラスチック容器が顔を出した。
「……あ」
「どうかなあ?」
「……あ、ああ」
 思わず生返事で返してしまった。何やらデジャブ。
「ひょっとして、お前が?」
「うん」
「……俺のために?」
「まさか。クラスのみんなにはもうおすそ分けしちゃったよ」
 なんじゃそりゃー。思い上がり愚兄、ここに極まれり。
「でも、まだまだ結構残ってるよ、ほら」
 蓋を開けると、洋菓子の匂いがふわりと漂った。形はまばらで、色加減は少し焼きすぎて焦げ目があったが、美観を損なうことはなく、むしろ手作り感を引き立たせていて、美味そうだ。……これって。
「お前、安直だなあ」
「あ、そゆこと言う人にはあげないよ?」
「うそーん!」
「嘘だよ。はい、口開けてー」
「い、いや、自分で」
「ほら」
 有無を言わせない語調で妹がクッキーを片手に迫ってくる。
「んっ」
 まるで動物園の動物に餌をやるみたく口に入るかどうかの絶妙なタイミングで指をさっと引かれた。
「…………」
 予想に違わぬ食感とバターの香りが口内を支配して、俺は内心安堵の息をついた。世の中には見た目で判断してはいけない食が数多く氾濫しているようだしな。
「どう、美味しい?」 
「うん、うまいよ。お前、料理得意だったんだな」
「や、やだなあ。こんなの料理のうちに入らないって。趣味みたいなもんだし」
 と言いつつもまんざらではない様子。
「ほら、まだこんなにあるんだからどんどん食べてよ」
「マジかよ」
「マジマジ」
 まじまじと見つめられながら残り数枚のクッキーをもそもそと食べる。意外と飽きがこないもんだな。甘さがくどくないというか、うん、これなら及第点だろう。
「で、お前は食べないの?」
「わ、わたしはいいよ。お兄ちゃんが全部食べればいいじゃない」
「そうかそうか。ひょっとしてダイエット作戦絶賛敢行中――――」
「あ、それ以上言ったらお兄ちゃんの悪評言いふらすから」
「らめえ」
 と、取るに足らない会話ともつかぬ会話をしつつ、完食する。
 どうやら昼飯はがっつり取らなくてもよさそうだ。
「じゃあ、帰ろっか」
 ベンチから飛び跳ねるように元気よく立ち上がる妹。
 いつまでも立ち上がろうとしない俺に小首を傾げてみせた。
「どうしたの? 帰らないの?」
「ああ……」
「うん、じゃあいつまでもぼーっとしないの! 風邪ひくよ」
「そうだな」
 ふと、空を見上げた。今日も今日とて澄み切った青が広がっていた。
(今しかないよな。なんだか後で言うのも照れくさいし)
「あの、さ」
 二、三歩進んだところで、妹が振り返る。まるで、俺の言葉を待ってたみたいに。
「どしたの?」
 そうだ、今度こいつに何か美味いもんでもおごってやろうかな、とか兄らしいのかよくわからないことを考えつつ。
「ほら、『言いたいことは言わないと伝わらない』、でしょ?」
 屈託のない笑みと、初冬らしからぬ暖かな日差しに出迎えられて――――。
「……ありがとな」
 今年も冬がやってくる。

(了、2008/12)
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