銀糸

 蜘蛛の糸に捕らわれた蝶ね、と陳腐な発想が浮かんだ。これでは、事象の結果を限りなく単純化することしかできない私の愚劣さを浮き上がらせるだけだ。私が求めてやまないのは、例えば、カップに注がれた珈琲を観察しながら、湯気と香りの立つ黒い液体以上の何かとつぶさに言及できる知性であり、空の薄い青を光の屈折現象以外の言葉で表せる感性であり、対面に座る彼の些細な変化を、コンマの世界まで落とし込んで描写する力だった。
 足りない、違う、そうではない。
 幾度となく筆を重ね、色を重ねても、完成に至る決定的な後押しを会得出来ない自分自身に苛まれていた。焦っても、時間をかけても、心を込めても、手を抜いても、私は私の矮小で硬質な殻を破れずにいる。彼はありがとうと笑顔を見せてくれるけれど、その相貌はのっぺらぼうのままだった。
 私は子供の頃に夢中で描いた母親の絵を思い出す。母はありがとうと褒めてくれた。蜘蛛の糸は、かくも美しい。
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